「・・・お食事でございます、闇姫」
「・・・・。」
窓もない一室に一人の少女がいた。
闇姫と呼ばれた彼女は生まれてからこの室から出たことがない。
空や海、木すら知らずに育ってきた。
表情はなく、ただ人形のように生かされている彼女には心がない。
この室で生まれ、この室で死ぬ運命を悟っているのであろう。彼女自身もここから出ようとする意思はなかった。
身の回りのことは全て侍女が、たまに当主が闇姫の顔を見に来る。
そんな延々と続く螺旋のような毎日に憂いていた頃、一人の少女が目の前に現れた。
未だかつてない縹家の歴史にない、脱走劇が始まった。
変わらない日々の延長線を過ごしてきた闇姫にやっと変わったことが起こったのはある日の馬の刻であった。
侍女が『縹英姫様が参られます』と自分に告げた。
この室から出たこともない闇姫にとっては外の事情も全く分からなかったため、縹英姫がどんな人か、男か女かすら理解できなかった。
とりあえず、誰かが来ることだけ理解できた。
闇姫は静かに頷いた。
ほとんど話す必要もないこの生活で、ほとんど闇姫の声が聞ける日はなかった。
それは英姫と鴛洵が出会ったのは数ヶ月前のことであった。
英姫自身、縹家の外にはあまり出たことなかったので外の世界はあまりにも誘惑が多いところであった。
ただ、英姫の落とした簪をたまたま通りかかった鴛洵が拾ったというありがちな光景で見事英姫は鴛洵に落ちた。
そして、縹家脱出計画を立てて早数ヶ月。
大した行事もなく慌しくない今が逃げ時だ、と英姫は前々からひそかに荷造りをしていたのである。
そして出発前日の夜、不思議な感覚に襲われた。
元々自分には先読みの力があった。
目の前に小さな檻に閉じ込められた少女が見えた。
そんな状態にあるのはどう考えても闇姫しかいない。
気になって英姫は出立前に闇姫に会ってみることにした。別に当主の許しはなくてもそれくらいはいいだろう。
「・・・闇姫はこの先か?」
「・・・はい」
闇姫付きの侍女に連れられ、英姫は闇姫の下に向かった。
どんどんその場に近づいてくるにつれて場の空気がじっとり重くなるのを感じた。
周りに控えている侍女達にも覇気がないように見られる。
英姫は袖で顔を隠しながら、顔をしかめた。
・・・・よくも長いことこの場にいられるものだ・・・気がおかしくなってしまう・・・。
英姫はそう思わずにはいられなかった。
そして分厚い扉の前に立たされた。そしてその扉が開かれた。
中はたくさんの明かりが灯され、行動するには全く支障がなかった。
しかし、夜でもないのに人口的な明かりが灯された空間に英姫は違和感を覚えた。
その中にはまだ十歳ほどの小さな少女が座っていた。
「・・・二人きりにしてくれぬか?何かあったら呼ぶゆえ・・・」
「分かりました」
侍女を下がらせ、英姫は闇姫の元に歩み寄った。
無感情な目で闇姫は英姫を見つめた。
「初めてお目にかかるな、妾が縹英姫じゃ。
思ったよりも小さかったな、闇姫。年は幾つになる?」
英姫が微笑して話しかけたが闇姫の方は無表情であった。
そして英姫の質問に対して首をかしげる。
「・・・なんと・・・自分の年も分からぬのか?」
闇姫はこくんと頷いた。
この室には時間というものがない。昼もなければ夜もない。
ただ、生きて死ぬだけの時間が無駄に過ぎては消えていっている。
英姫は予想もせぬ状態に困り果てた。
予想よりかはまだましに暮らせているらしいが、感情も皆無。この分では知識の方もどうやら・・・
確かに闇姫とは存在のみあればいい。王家を滅ぼす存在としてただここにあればいい。
それに余計な知識はいらないし、感情も要らない。
女に権力が集中するこの縹家でただ一人女の身で自由が利かない存在である。
一時期闇姫の権力が大きくあった時代もあったようだが、当主の怒りに触れ、幽閉されてから闇姫はこのように扱われたらしい。
英姫は今日縹家を発とうと思っていたが、この闇姫の様子を見て心が揺らいだ。
ここまで無知なまま道具としか扱われず死んでいく少女が不憫に思ってきた。
だから、思い切って誘ってみた。
「闇姫よ。
妾と一緒に縹家を抜けてみないか?」
「・・・・え・・・・?」
闇姫自身久しぶりに自分の声を聞いた。とても内心とても驚いているのに表情に出ないのは長年使われなかった顔の筋肉が固まっているからであろう。
英姫はいたずらっ子のような笑みでいった。
「外の世界は良いぞ。
太陽の光の下歩くのは最高だ・・・」
「・・・・・」
太陽・・・。
あまり聞きなれない単語だった。そういえば何かの本には出てきたような気がするが、闇姫にとって太陽がどのようなものか想像もつかなかった。
「・・・これは秘密だぞ。誰にも言ってはいかぬ」
闇姫は頷いた。心臓が今までにないくらい早く動いている。
久しぶりに、興味が沸いた。
自分の心が動いたのは久しぶりだ。
「私は先日茶鴛洵殿という方に出会ってな。是非結婚したいのだがどうせこの家にいても一生会うことすら出来ない。
それにかの方はこの対戦の中に出て、今も戦を続けておられる。
いつ散るか分からぬ命であるため・・・少しでも私の力をお役に立てたいと思っている」
闇姫はいまいち意味が分からなかったが。しかし英姫のがあまりに真剣な顔で話すので思わず相槌を打ってしまう。
「そのため、今日縹家を出ようと思うのだが・・・
まぁそのついでじゃ。
どうせお主はこのまま生きても一生この室で過ごさなくてはいけない。
何もしなくても散る人生、どうせなら派手に散ってみてもよいと思うのだが・・・。
まぁこれはお主自身が決めることじゃが・・・」
どくん、と心臓が大きく動いた。
「・・・あの・・・」
小さい言葉だったが闇姫は口を開いた。
「・・・外に行けば・・・時間は流れますか・・・?」
英姫はにこりと笑み頷いた。そして優しく闇姫を抱きしめ、頭を撫でる。
「あぁ、少なくとも時間の流れだけは感じられる・・・。
全く同じ日なんて来ない・・・」
闇姫は強く頷いた。
「私・・・いきます」
「そうか・・・では、今から妾の言うとおりにしてくれ。
これが出来ねば、外には出られないと思いや」
英姫は地図を用意してくれた。
そして、色々な注意事項を分かりやすく説明してくれた。
室の外に行くこと自体初めてな闇姫にとって外の世界は未知なる物であろう。
「・・・まぁこんなものじゃ。あとは主の度胸の問題のみゆえ、自分の正しいと思った行動をしや。
堂々と胸を張れば周りも気にしない」
「はい」
一通りの注意を受け闇姫はしっかりとした返事を返した。
瞳には強い光があった。英姫は心から安堵した。
もし彼女がここから出られなかったとしても、それでも彼女の運命は前向きに進んでいく、そんな気がした。
「これを・・・・」
最後に英姫は懐中時計を闇姫に渡した。
「この針がここに来るまで妾に会いに来るのじゃぞ。分かったな」
「はい」
英姫はそういって出て行った。
闇姫はそのまま準備に移った。
侍女を呼び気分が悪くなったといって寝台に入る。
そして周りの光を消させた。
着物を換え、座布団で自分の形を作り布団の中に忍ばせる。
しばらく時間がたつのを待ち闇姫は扉の近くで自分の様子を身に来る侍女を待った。
流石にこの厚い扉は自分の力であけられなかった。本当は外から鍵がかかっていたのだが、闇姫はそんなことが分からない。
扉が動き光が部屋の中に入ってきた。
侍女と入れ替わるように闇姫は外に駆け出す。
これが外の世界の第一歩だった。
見知らぬ空間に恐怖が増したが、そんなこと構っていられる時間はない。
『主の度胸の問題のみゆえ、自分の正しいと思ったことをしや』
・・・はい、英姫様。
英姫からもらった懐中時計を見る。約束の時間までまだ十分に余裕があるが、何が起こるかわからない。
階段を上り、誰もいないことを確認し、廊下に出た。
闇姫は蝋燭の明かりとは違う明るさを目にして絶句した。
橙色の光しか自分は知らなかった。
窓の外を見る。
そこには全く想像もしなかった世界が広がっていた。
自分は今まで何を見て、知ってきたのだろう。
そのとき人の声が聞こえた。
闇姫はびくりと肩を震わせあたりを探した。本能的に逃げなくてはと頭が命じている。
直感的に『左から人が出てくる』というのが分かった。
直ぐに右の角に入り、人が通り過ぎるのを待った。
小さいこともあり、男達は闇姫に気づかずそこを通り過ぎていった。
しばらく小部屋で足を休ませ、外の世界を眺めていた。
ずっと部屋の中にいたため、足の筋肉が全くついていなかった。階段を上っただけでも既に痛い。
これでは英姫様に迷惑をかけてしまう・・・。
闇姫は拳をぎゅっと握った。
・・・強くならなければ・・・。
そう思った。
後は地図がなくてもどうすればいいか直感が教えてくれた。
適当に人に会い、英姫の元まで案内してもらった。
英姫は嬉しそうに闇姫を抱き上げ、『蘭』と呼んだ。
「・・・では、妾は蘭姫と馬でちょっとそこまで駆けてくるゆえ。
日が落ちるまでには戻ってくるであろう」
多くの人が英姫を見送った。
見たこともないほどの人の多さに闇姫は頭が混乱してきた。
全てが初めてのもので思考がついていかない。
英姫は軽々と馬に闇姫を乗せ、その後ろに自分も乗った。
初めて見る生き物に乗せられ、闇姫は居心地が悪かった。
「・・・・さて、参るとしようか・・・。
ふふ・・・・長いこと暮らしたこの家だが名残惜しいとは思わんの・・・
なぁ闇姫」
「・・・えっと・・・もうここには戻ってこられないのですか?」
「それも自分の意思次第じゃ・・・。特にお主はな・・・」
まさか、その生き物がかなりの速さで走る生き物だと思わなかった闇姫はあまりの怖さに気を失うしかなかった。
気づいた頃には寝台の上に寝かせられていた。
隣には英姫がこちらをみて微笑んでいた。
「おう、気がついたか・・・
気を失ってくれてこれは好都合と思いかなり馬を飛ばしたのじゃが・・・・体の方は大丈夫かえ」
容赦ない英姫の扱いに闇姫は当惑した。そして体を起こしてみるなり、激痛に顔をゆがめた。
「・・・どこを動かしても・・・痛い・・・です」
「深窓の姫君ということを忘れていてな。
だからといって長居するわけにはいかないし、明日目覚めたら直ぐに出発じゃ。
この戦の時代と言っても縹家は元気じゃ・・・闇姫と妾がいなくなったことが分かればかなりの大事になるな・・・」
一応術はかけておいた。
闇姫の寝台にも闇姫が寝ているように見せる術がかけられていた。
これは一週間ほどもつから闇姫の方は大丈夫であろう。あまり丈夫ではないゆえそのくらい寝ていることも常だ。
力のある当主ほどの者が見に来れば一発でばれるが、今水面下では王家と対立中だ。
薔薇姫も狙われているということもあり、闇姫に構っている時間などないだろう。
あまり当主に対してもいい感情を持っていなかった英姫はいい気味だ、と笑う。
縹家も縹家でやりすぎなのだ。
「・・・さて、まず闇姫は体力をつけないといかんな。
そして次に身を守る術を知らなくてはいけない。それが終われば多く知ることだ・・・。
大変だな、これから・・・。
でも同じ時間が流れる日はもうない」
「・・・はい。これからご厄介になります」
「あぁ・・・元はといえば私が連れ出したのだ。
・・・そうだ、名前がないと今後辛いな・・・。さてどうしたものか・・・・」
英姫が顎に手を当て考え出した。
「あの・・・先ほど『蘭』と・・・」
「あぁ、あれは知り合いの妹よ。
丁度同じ年くらいの髪も似た色の奴がいてな・・・。
闇姫では呼びにくいというより、まず意味からしてよくない。
・・・自分でつけてみるかえ?」
「・・・・えっと・・・・」
いざ考えてみるとこれといっていい案が出てこない。
しばらく悩んだ末、闇姫は言った。
「・・・・『蘭』でいいです。
またいい考えが思い浮かんだら名前を変えます」
英姫はそうか、と頷いて蘭の頭を撫でた。
「・・・主がそう思うのならそれでいい。
今食事を持ってくるゆえ・・・それを食べたら直ぐ寝ることじゃ。
明日も早いぞ」
この時までせきどめられていた砂が一気に溢れ出し、彼女の人生が大きく動いていく。
それは未来へと繋がる大きな第一歩であった。
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